[Nostalgies] ラクダに乗って

大学時代は英語学科にいたのに越境しまくって中国語学科やドイツ語学科にふらふら行ってしまっていたため、ちょっと濃い目の話を聞いた思い出があります。

学部生でフィールドワークという言葉を聞いたのはその時が初めてでした。

「四川省はなぜ辛い料理が多いかわかりますか?そう、交通が非常に不便なので、食材が少しだけ傷んでいても食べなくてはならなかったんです。香辛料というのはこういう時、かなり重要なものになるんです。塩だけじゃないんですね」

「先生、交通が不便って、先生はそのフィールドワークの時に一体どうやって移動なさっていたんですか?馬ですか?車では移動できないってことですよね」

「水も少ないから、馬では移動距離が短くなってしまうんですよ。ラクダに乗って行くんです、だから地元の人の協力は不可欠です」

私はこの話を聞いた時に、研究者というのは自分の母方の叔父がやっていたような、研究所の実験室や書斎、図書館にこもっているだけではないのだと知ったのです。外に出ていくのは学会が開かれる時だけかと思っていたのです。

憧れに憧れが重なっていた気持ちが沸き上がってきて、何とも言えない冒険の道のりを夢にみたことを懐かしく思います。目の前の先生がそのような冒険をして、無事に帰ってきてお話を聞かせてくれるのだと…。果たして、大学は一般の人が言うような「贅沢」なのだろうかと最近は不思議に思います。地元にいる人が、その地域にある大学に所属する人々の冒険譚を聞くことが贅沢なのでしょうか。私には、まるでお互いに閉じ込められているかのようで、自由とはかけ離れた地域だとしか思えません。

生活に困らないだけの現金を携えて修道院で暮らしたい、または地元の大学に戻って、図書館で毎日お会いしていた、当時もう引退なさった先生方のように暮らしたい…彼らは結婚もせず独りだったので大学の教職員用の寮にお住まいでした。もうあれから20年近く経ってしまったので、お亡くなりになっていると思います。彼らはインターネットで何かを開陳することもありませんでしたから、聞いた話をここで少しでも書けたらと思っています。せめてもの恩返しです。

そういえば、この話のオチを書くのを忘れていました。この先生は、最後に村で休む時に御馳走を作ってもらって歓迎されたそうですが(外国に我々の記録が残る!と喜ばれたのでしょう)、大鍋にお玉一杯の「味精」を入れる瞬間を見てしまい、相当衝撃を受けたと仰っていました。つ、強いですね、日本の味の素…最後にもう一度書きます。ラクダは現在もその地域で実用されている交通手段です。