[Diary]アントン・チェーホフ

今日はアントン・チェーホフ「三人姉妹」小田島雄志訳を読みました。私はどう見ても「無目的に生きる兄」側にいます。ごめんなさい。ところで、「13人がテーブルにいると恋をしている人が1人いる」といったような迷信を集めた本ってあったら読みたいなと思って探すことにしました。読書記録はちゃんとつけたいので、感想というほどのことが書けるかどうかは別としてこのブログの[Books]カテゴリに残します。どの訳を読んだか忘れてしまうので…。

貯金中だから香水をたくさんつけて他に何も買わないように過ごしています。こういうことをしている間の気分ってとても大事です。荒れていてはいけません。貯金で何を買いたいかというと、正教会の八端十字架ペンダントです。それも、K18製のもの。私は調子の悪い時皮膚の調子も悪くなりがちなので、ステンレスやWG, K18などのものをつけておきたいのです。死ぬその時まで身に着けておき、子どもたちに残したいんです。

今朝は頭痛があり、頭痛薬をとりあえず飲んでみました。最近夜涼しいのに反して、期待するほどぐっすり眠れていません。気分も振るわないから、集中して何かをするより掃除をしていました。洗濯機の裏であるとか、掃除機のパーツをきれいに洗って日陰に干しました。ただあれこれやりすぎてもいけないから、ほかの用事を済ませたら手を止めてカモミールティーと食事を摂り、しばらく無理しないように過ごそうと決めました。

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そういえば、かつてフォロワーさんに”zentabi1″というユーザーがいました。最初の印象としては非常にまじめで熱心な正教徒男性でした。もうアカウントをお消しになったようですが、彼は群馬県出身で、仏教のことも知っているしカトリックで洗礼を受けた後正教会にいらしたというかなり活発な経緯がありました。そこまで色々知っているのに彼は満足せず、どれに対しても批判的で、更に信じるといった姿勢がなくなっていきました。批判的であることと信じることができないのは別物です。あちこち行くことのできない私にはそれだけで羨ましいほどの経験ですが…私は彼が自分の信仰も固まっていないのに陰謀論を信じておかしくなっていくのを見て、正教会から動かずにいようと考えるようになりました。「世の中が少数の人に完璧に左右されている」といった発想はあまりにも幼く感じたのです。世の中はそんなに単純ではありません。またこのzentabi1さんがよく書いていた話題ですが、イスラエルと日本には外交的なつながりは確かにありますが、どちらについてもよく知る台湾人の友人は「なぜユダヤと日本について血統的にかかわりがあると信じる人たちがいるのだろうね?」と不思議がっています。この友人は数年前までまさにそのユダヤ人の会社にいたし、今は転職し日本にいます。私は18の頃から知っているこの友人を信頼しているので、間違った見識ではないだろうと思っています。

私は彼が「(私に対して言及した後)女はこれだから愚かだ」と書いているのを見て、それを最後にブロックし、二度と見ることはありませんでした。変えられるのは自分の思いだけです。それも、変えられたら十分素晴らしいことであると考えています。彼の思考や行動はとても残念なものでしたが、彼が無事に「彼の人生で触れてきた仏教やカトリック、正教のうちどれかが信に値すると感じる」ことができるように願っています。きっと彼のような人はあれこれ迷ったすべてが徒労だったと結論をつけることができないでしょう。

※結論をある程度自分で決めてから、見て回ることは批判しません。

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また追記します。

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MUJI BGM 1980-2000を聴いています。いつ聴いてもいい感じですね!聴いていると人がざわざわしているような気がします。懐かしいあまりに、自分の出身中学校の周辺をストリートビューでお散歩してみました。住宅が増えすぎていたし、1年生の時に下校時3年生とベタベタラブラブしていたお店も消え去っていました。思い出の場所はほぼなくなっていて、公園くらいしか残っていません。親友が乗って、私がゆっくりくるくる回した球体の遊具も、箱ブランコもなくなっていました。もしかしたら、私が6歳から30歳まで一緒にいた親友は夢か何かだったのではないかと疑うほど、何もかも跡形もなくなっています。彼女の写真をもっと撮ってやればよかった。彼女の写真は、手元にあるものは全部クリアファイルに入れてあります。彼女が幸せだったら、私は嬉しい。あんなに会いたがっていたお母さんのもとにいると私は信じています。私はもう自分の家族のために生きているから彼女の姿を実際に探しに行くことはありません。