[Diary]幼少時の不思議体験

せっかく涼しくなったのに、残念なことに雨が降っています…。とうとう秋雨前線が現れたのでしょうか。最近ろくに報道を追いかけていないから全然わかりません。調子が戻るまではできるだけニュースから離れています。

無事に「まいにちロシア語」を録音ラジオサーバーで録音できるようになったから、そこは一安心。先週9月28日に録音しそびれた第3課を(本放送の1週間後夕方15:30-45に)再放送してくれるのを録音しました。うまくいかなかったら忘れずに再放送の録音設定をしておかないといけません。いつラジリンガルが私の環境で使えなくなるか予想がつかないからです。大量に録音して、少しずつたまっていくのがちょっとした喜びです。ロシア語学習書はなんでもお値段が張ります。CD付きともなると3000円超えは普通、私が喉から手が出るほど欲しいと思うようなものは6000円や1万円台。タダで公共のためにと放送されているものを録音しない訳にはいきません。テレビでのロシア語講座は、ロケ撮影ができないという理由で削られてしまいました。なんという重い悲しみ。スタジオで撮ればいいじゃないですか!日本にもロシア語界隈があるんですから。

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そういえば、昨日上の子と話していて「過去に遭った奇妙な体験」を話すことがありました。私は小学校から中学卒業まで、授業や講義を終えると自宅にかばんを置いて、ほかのカバンとポシェットを持って両親の経営する床屋に手伝いに行っていました。中途半端な時間に自宅に帰るのは却って危ない出来事に出くわすので深夜に閉店するまで店にいるのがいつもの生活でした。自分の通う学校からは隔絶された生活…。私はある意味これが気に入っていました。自分の近くしか知らないより、気が楽であることを感じていたからです。

しかしある日のこと。下校して自宅に戻り、干してある洗濯物を全部畳んでから最寄り駅に向かいました。「これから店に行く」と普段通り店に電話をかけて家を出発したのは、出発前にテレビの左上に映っていた15:30。自宅から最寄り駅までは急ぎの徒歩で約8分。しかし途中で同い年くらいの女の子に声を掛けられ、「一緒に遊んでよ!」と。しかし私は何があっても店に行かなくてはいけません。天気が悪くてもタクシーで行くのが決まりでした。少し遊んでやった後、「ごめん、親が待ってるんだ。私、もう行かないと」と言ってその子と「バイバイ!」と別れた後、駅に着いて驚きました。なんと、15:30だったのです。いつもの駅員さんに通勤定期券を見せて駅の構内に入り、ホームに降りても時計はやっぱりその時間を指していました。どういうことでしょうか、15:30に家を出たのに、歩いて、他の子と遊んでから駅に着いたのが15:30。

当時の私は小学2年生でした。腕時計は持っておらず(時計のある駅付近を行ったり来たりしているので新設の遠い中学校に行くため時々バスに乗るようになるまで必要だと思わなかったんです)、その途中での時間を確認することはありませんでした。あの女の子と会ったのは、あるお寺の参道でした。そして名前を尋ねた時あの子は「あなたのことは知ってるよ、私はあなたと同じ名前なの」と。そういうわけでそのお寺の関係者だった親友やその住職さんに尋ねてみても心当たりはなく、更に町内会での付き合いや近くの他の小学校でも探し当てることはできませんでした。妙に気になって1年ほどは探し回りました。あのお寺は観光名所でもあったから、遠くから親に連れられて遊びに来ていた子なのか、それとも、何か神秘的な存在だったのかもしれません。それにしても「あなたのことは知ってるよ」というのがちょっと難しいですね。どこで知ったのか聞きたかったかも…。実は自宅にいるより、数駅離れた店にいる時間の方が長かったから、自宅周辺の付き合いは薄かったんです。奇妙体験のお話は以上。

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さて…図書館の貸し出し本の予約もしましたし、借りられる準備ができるまで待ちます。